いまいひと物語
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来るし、又企業格差も出て来るのだと思います。多様化する工法、建設磯械の進歩発達とハイテクノロジーの時代は建設業とい之ども寸分の科字技術の進歩でも目を離すわけにはいかないのは当然ですが、やはりその格厄は超一次産業であるが故に他産業にもましたH人Hの問題であろうかと忠います。直接人が汗を流し、用いる機械の騒音と油にまみれる現場に於いての生産性はやはりH人μが全てと言っても過言ではないでしょう。環境や四季折々の気象条件により異なった条件を抱えた一つ一つの札場に於いての生産(工事)こそ、それを司とる人の英知の全てであろうかと思います。一つの乳場は一つの企業であり、その現場責任者はその現場企業の社長(経営者)でありオーナーでなくてはなりません。監督権や安全管理権を掌握してより良い生庄性の高揚を計り努カすることだと思います。そうした建設業の本貿易」理解しながら守ってゆくべき原則はいくつかあろうかとは忠いますが、私は単純に次の四っと考えます。L立派な工事をすること(信用)2工期内に完えさせること(責任)a工事の安全を厳守すること(義務)4予算の範囲内で施工すること(目的)一ロですロうとH工事の安全を期しながら立派な工事を工期内にが、いで予算の範囲内で施工するHといったことではなかろうかと思います。会従業員がん7一度このわかりさった建設業の四原則に立ち戻って反省し、心新たに厳しい業界の冬の時代へカを合わせて歩んでゆかねばならないと思います。ω立派な工事をすること(信用)最も当たり前の人叩一麹であり、最も信用と信頼につながった事であろうと忠います。施、玉や設計者の求める新しいニlズ、続々開発される新工法や建設機械の発達手それに対応してゆくだけの技術者の研讃、教育が企業に課せられた重要な課題になってきているのです。多くの職種に設けられた資格、一級建築士とか一級土木施工管理技士といった資格審査の国家試験手の取得もやはりより良い工事を、立派な工事を責任をもってやれるだけの責任表示の一つではないでしょうか。全国太子のゼネコンと地、万の中小業者との受注格差や指名格差もいうなればその根本はH立派な工事〆を花エ出来るか否かのy信用Hの問題ではなかろうかと思います。組織を上げての研究開発や多くの投資をしながら研究所を設け、スタッフを養成する太子ゼネコンの手法こそグ信用Hを土台にしたH立派な工事をするHための投資であり努力であるわけです。簡易な工事を設計書にあるがままの竣工検査にパスするだけの最低限の技術カでのみ生さようとする今までの中小皆盃唱であっては信用も信頼も生まれできませんし、企業の進歩も望めないと忠います。例之、ば設計一書通りに施工、がなされていてもそれに不合理が生じたり、不都合が生じたり又地形地質等によって将来的に不安が生じたりする予測が、立った時はそれにも増した技術カの裏付けによって設す変史をなし得るだけの努力も必要かと考えます。建築を例にとってみた場合も高度の高層ビルとか新工法は別にしまして簡単な学校や病院建築をみても同じ職人(大工左官等)が同じように作業しても太子ゼネコンの作品と中小地元業者の作品に格差がつくのは-) 田市-津\-江ル(圃岸J-措!i 渡、飛躍編11昭和60年~平成10年・100川越堤防(桜江町)於イ呆知大橋橋梁(石見町)

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