いまいひと物語
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今井広島ビル。広島市内のビジネス最前線である小町にあったビルを購入し、リニューアルしたもの。洗練された姿が平和大通りに映える。業務に役立つという考えである。昭和抑年に約M億円だった売上げが、昭和ω年に約刀億円に、平成3年に約120億円にというふうに順調に伸びてきた。このエネルギーは、まさに今井産業の人間情報力によるところが大きい。中園地方の有力企業ヘ成長するために。広島営業所移転。中園地方の最大都市・広島にはすでに営業所を置いていたが、平成5年(1993年)、それまでやや郊外の安佐南区にあった営業所を、市内中心部の中区上幡町に移転。さらに翌年には小町のピルを購入し、リニュlアルして本格的な活動を開始した。100万都市・広島は、いわゆる政令指定都市で、多くの行政機関、大手企業の本社支社が集中しており、広島に人間情報力の拠点を置くことは中園地方の広いエリアへ今井産業進出の可能性を持つことでもあった。広島営業所は、市内でもとりわけ官庁、企業オフィスの集中する地域にあり、業務の利便性は格段に改善され、また建物の美しい外観は、企業の知名度とイメージアップに貢献することになった。世界と日本の情報発信基地の中に今井産業を置く。東京営業所開設。東京は日本国内と世界各国に対する情報の入発信基地。今井産業では、昭和臼年という平い時期に東京営業所を開設していたが、これはふるさと島根県桜江町と、首都東京を強力な情報ラインでつなぐ役割を果たしてきた。この考えをさらに発展させて、平成4年には自己所有地に今井東京ピル(木場公園ピル)を建設。さらに、平成9年には今井東京ピルに隣接させて東京営業所を再オープンした。山陰にありながら東京の情報をリアルタイムで細かく入信できる東京営業所は、島根県という立地を情報の最前総に置くことができるし、今井産業の幻世紀へ向けての新しい方面での発信基地ともなる。89・飛躍編I1985年~1998年

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