いまいひと物語
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情報の収集と営業テリトリ!の拡大のために、一一一ー畠歩先ヘ。広島ヘ(肝耕民転)、東京ヘ(拡9年)。長い歴史の中で培われた力を、もっと新しい場所で、広いエリアでためしたい。人々のために役立てたい。島根県を中心としてきた今井産業の活躍舞台が、県外ヘ広がっていくのは、自然の成り行きだったかもしれない。社内に貯えられたエネルギーは、それほど大きく熟していた。情報の量とテリトリ!の広さが時代を先どるという読み。人間力による情報収集を重視してきた。きちんとした形があって、人がいてものごとがはじまる。そうでなければ、情報は形骸化していくのではないか。そうしたけじめの頑固さは、創業以来の変わらない姿勢といえた。これをn使い勝手のよい情報4という言葉に置き換えてもいいかもしれない。手に入る情報が、迫速かつ正確であり、上手に生きてきてこそいい情報であり、40年の歴史がある(昭和33年に最初の営業所開設)東京・木場に、平成4年、今井東京ビル(木場公園ビル)を建設。モダンで美しい外観が付近でも評判になった。「情報の時代」という言葉は、しばしばコンピュータネットワークの時が来た、というふうに判断されることが多い。今井産業もそうした機械技術的な整備を行い、業務の近代化を怠りなく進めてきたが、さらに、人の配置による、飛躍編ll昭和60年~平成10年・88今井東京ビルの竣工式には、日本鋪道(株)の仁瓶社長など多くの財界人、産業界人が参?IJo

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