いまいひと物語
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「山陰の時代」到来。今井産業の複眼・誠実の経営感覚が出番を迎えた!平成3年(1991年)の「中国自動車道広島・浜田線」の開通、平成5年の「石見空港」の開港は、島根県の立地条件を大きく変えた。高速交通の整備によって経済、文化など様々な部分に飛躍的な環境変化が生じたからだ。本格的な山陰の時代が来た。それは、この地域で生きる、今井産業の出番なのかもしれない。開通CT~旭IC人々の期待を担って開通した浜田自動車道(中国横断自動車道浜田広島線)。交通の不便さが言われた山陰は、山陽とほぼ同時間軸の、ノーンになった。竹下首相誕生に沸く地元島根県掛合町の人々。昭和62年(1987年)11月。飛騨編||昭和60年~平成10年・82遅く成熟した山陰には、質実の企業体質が似合う。昭和ω年の「四全総」に山陰の高速自動車道の整備がうたわれて、にわかに活気づいた山陰地方だった。平成4年には固の拠点都市としての一次分に出雲圏域が指定されるなど山陰をとりまく環境は加速度的に変化しつつある。これまで山陰地域は東海道、山陽など太平洋側、瀬戸内海側地域に遅れをとってきたが、新たに「日本海国土軸構想」という将来見取り岡も描かれ、脚光を浴びる度合いはますます高くなってきた。

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