いまいひと物語
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阪神淡路大震災直後、住宅建設の応援に住宅事業本部から小笠原将治社員が駆け付け、使命感に燃えた仕事ぶりが地元の人から喜ばれた。r クルプ所属の車両、船舶も相当量のパワーを形成する。写真は祥洋建設の第八久祥丸。のも磨かれていく。平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災のとき、ミサワホlム本社の要請を受け浜田の住宅事業本部から応援のスタッフが現地へ飛び、住宅の建設に携わったことがある。これも頭脳と技術が期待に応えてどんどん外ヘ向かって活動の舞台を広げていったのである。関係会社と、事業のネットワーク化。これからの産業社会では、ニーズはしばしば①モノ②ソフトウエア③サービスの一二つによってより充たされるという。例えば昭和幻年(1982年)にグループに加わった長沢組(現祥洋建設)は港湾整備、いわゆる海上土木工事を得意分野としており当社の陸における土木技術とも深い関連がある。また、両者、が密接な関係で存在することによって、今後発生する様々なポリフォニックな(複眼的な)プロジェクトに総合力で対応する。また、業務が複雑にまたがる仕事にも、調整しながら対応できる。企業の内と外に広がるネットワークのメリットは予想外に大きい。リさサらイにク時)~代どの7:要下手語長足脅して建設工事に伴って発生するアスファルトなどの廃材は、今後増大する一方と言われる。今井産業は平成3年に施行された「リサイクル法(再生資源利用促進法)」に応えるかたちで、平成8年に浜岡市に浜田リサイクルプラントを建設。また、平成9年に邑智郡川本町に川本リサイクルプラントを建設した。もとより建設廃材は、本社と各営業所の建設事業によって生み出されるものであり、そのすぐ身近なところでリサイクルプラントが稼働することは、業務の流れからいっても効率的であり、また環境保全という当社の理念にもかなう。H事業を通じて地域社会の発展に貢献するuという企業スローガンをそのまま地で行くものである。このリサイクルプラントには、近隣の他の建設業者からも多く建設廃材が寄せられるようになった。川本リサイクルプラント81・飛躍編11985年~1998年浜田リサイクルプラント

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