いまいひと物語
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「逆境の中でも強い企業」強靭な体質は、とユ一一日われる健全財政に源があった。景気が後退して、いわゆる安定成長期の時代になっても、今井産業は積極果敢な攻めの姿勢を崩していない。それを裏付けたのは、いつも収支を健全にさせておくという財政政策にあった。I -~-=~ 安定成長期に浜田ビル(昭和“年)、松江ビル(昭和位年)建設という積極策。経済企画庁が「景気後退宣言」を発表したのが、昭和“年(1986年)。その同じ年に、今井産業は「今井浜田ビル」を竣工させている。このビルの中には、港湾整備事業をすすめる祥洋建設も入っている。建物の姿と、内容の勢いのよさが、浜田の町に広く話題を呼んだものだ。さらに翌、昭和臼年には「今井松江ビル」を竣工。このビルの中に、松江営業所を開設するとともに、地域の不動産の有効活用などトータルコlディネlトをはかる「不動産システム」をスタートさせた。「面」への進出とともに、「業務」への積極的な進出も果たしたということができる。今井産業のこのような進出のベlスは、昭和ω年以降、かなりのテンポで進められるのである。直営、自前という健全財政に支えられて。かつて、庄之助が言ったことがある。「リlスや銀行から借金して機械を導入することはない。」今日の常識からすると、少しかたくなに見える姿勢である。現金で買うより、リースの方が結果としてはうまく行くかもしれないし、銀行筋に実績も上がるし信用も増すかもしれない。しかし、今井産業は、伝統的に現金取引の商習慣を変えなかった。そればかりでなく、「今井浜田ピル」「今井松江ビル」のように、事務所、営業所.『E飛躍編11附和60年~平成10年・78

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