いまいひと物語
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成長編ll昭和48年~l昭和59年・70そのIー「決断.__」号iく企業にとって、事業分野からの撤退ほど屈辱的で困難なものはない。しかし、今井産業は時に、敢然とそれを行った。H引くことも事業Hという大きな視点が、そこにはあったのか。創業者の怒りの中で、製材工場を終定させた。浜田市周布に水害で流失した工場の再建計画を立てるとき、庄之助はそこで製材工場をやりたかったという。川戸(桜江町)で大水害のため壊滅した製材工場を、再開したかったのである。しかし、当時社長だった今井久祥はじめ常務の今井久人(現社長)

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