いまいひと物語
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江津信用金庫と今井産業の合同事事として厳かに行われた今井会長の葬儀。5日後、内聞から従六位勲五等瑞宝章か’贈られた。昭和51年5月、宮中春の園遊会に招かれたときの今井会長夫妻。今井圧之助の主な栄誉昭和25年内閣総理大臣表彰昭和40年紺綬褒章昭和48年通産大臣表彰昭和51年宮中春の園遊会に招かれる昭和52年建設大臣表彰昭和55年労働大臣表彰昭和57年厚生大臣表彰昭和59年従六位殿五等瑞宝章逆にこれを飛躍のパネにしてしてしまうという経営者は本当に数少ないのではないだろうか。やはりそこには、庄之助の人に対する思いやりと、その思いやりに対する多くの人々の心、そして、目には見えないけれども大きな陰の力に支えられていたのかもしれない。創業者・今井庄之助、逝去。葬儀は多くの尊敬、敬愛の一言葉で包まれた。間和”年(1984年)、今井庄之助逝去。享年内歳。8月初日、江津市市民体育館で催された葬儀は、今井産業グループと江津信用金庫の合同葬として行われた。1700人の参列者を数える葬儀は、厳かさにおいて、規模において未曽有のものと言われた。それにも噌して感動的だったのは、この厳かな場が、故人が一生をかけて築いた今井産業の礎を、これからさらに発展させていこうという、多くの人の心の普いのシlンになったことだ。昭和3年に、島根県江津市(当時町)の一角で、わずか半坪ほどの金物店を閉店させたとき、誰が今日の今井産業を想像しただろう。一人の人間の、可能性の限りを一代で描いてみせた今井圧之助。その勤勉、誠実、不属、そして先進の意気と姿勢をあおいできた社員は、生きた教科書によって、たくさんのことを学んできた。業務に生かしてきた。「最後はH企業は人なり’です」今井庄之助の声が、そんなみんなの普いに対して返ってきそうな、そんな葬儀だった。そして、今井産業は、近代的な経営形態の企業へ、さらに大きくステップアップしていくのである。65・成長編11973年~1984年

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