いまいひと物語
50/129

時を読み、希望を育てる・・・。ひたすら事業に命を賭けた今井庄之助が逝去。創業半世紀余の昭和抑年。別世紀後半を都市化の時代と呼ぶ人がいる。都市化は高度経済成長や生活水準の高度化を引っ張ってきた。その状況を変えていく速度は、かつてどの時代にもなかったものだった。都市化の延長線上に、今度は国際化の時代が見える。この時代の加速度的な時間の推移を、創業者・今井庄之助はどう読んでいたのだろうか。今井会長が病床で最後まで屋根工事の指示を与えた西暁寺(江津市)。ありし日の今井圧之助会長。数々の表彰状、感謝状で飾られた旧社屋執務室で。成長編11昭和48年~l昭和59年同64しっかり足元をみつめる堅実さと、きっちり先を読む洞察力の両輪。昭和抄年(1974年)の住宅部門進出に続き、昭和臼年にはミサワホlムしまね(松江市)の経営にも乗り出した。赤字だった同社がわずか2年後の昭和M年に黒字に転換したのは、今井産業の経営手腕だったといわれている。一般に経営再建ほど難しい事業はないといわれるが、今井産業は、このほかにも昭和田年に、海洋土木建設の長沢紐(現祥洋建設)の再建に乗り出し、成功している。事業の再建は、極めて現実的な対処、すなわち具体的な事業各部の点検や合理化と、一方で将来への明快な展望の二つのことが求められ、雄進者には両方の器が備わっていることが要求される。考えてみると、庄之助ほど時代の推移にあわせて事業展開をしていく、いや、それ以上に幾度かの危急存亡ともいえる状況に対して果敢に挑戦し、

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です