いまいひと物語
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今井産業の成長をすぐそばで、温かく見守っている人々が大勢います。「事業を通じて地域社会の発展に貢献する」という今井産業の変わらないモットーは、んな町の人々のエールに対する感謝のメッセージなのです。ちの親父が杉の木を植林するのが好きで、岡、個人合わせてlOOha以上やっていたのす。その山の木を今井庄之助会長が買い付けに来られたのですが、作業ズボンに地下足袋姿で、実に率直な態度でね。私は、親父のそばで話を聞いていたのですが、裏表のない、気持ちのいい交渉ぶりでしたね。その今井会長が私に話してくれたことで、とても鮮明に党えているととが二つあります。一つは、「あなたのお父さんは、今尊徳(今様の二宮路徳)ですな」というζと。つまり、国土の将来を考えて山に苗を植えていくことの重要性を、うちの父をもちあげて話されたんだと思います。いま一つは、「人はね。苦しL、とき、逆境のとき、どう切り抜けていくかで価値が決まるんですよ」却、うとと。つまり、大変なときにどうするか、人人の価値は苦しL、ときどう切り抜けるかで決まる、と今井会長が語ってくれたあのときのあのやさしい目・・・。湯浅芳ーさん(元結江町町長)の不屈の姿勢が重要であると言われたんで、しような。あのときのやさしい目が忘れられません。今井産業さんは、昭和24年の大火災のときもびくともしないで立ち直られた。大阪に営業所をつくられたのも、その翌年でしょう。2回の大水害のときも、見事に切り抜けられた。今井会長の言葉は私の座右の銘になっています、あれからずっと。昭和47年の大水害の後、水害対策を町づくりに盛り込んだ基本構想を進めましたが、この実現に際しでも今井産業さんは誠意をもって力を貸してくださった。町の発展のために尽くしたカは大きなものがあります。私にとっても、町にとっても、今井さんの存在は今も昔も、大変なものです。激動編ll昭和33年~l昭和47年・56

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