いまいひと物語
41/129

ひたむきに考え、知恵を絞り、努力した。これが伝統になり、先進の社風をつくったと思うね。石見部を車で走っていると、落ち着かないんです。気持ちが高まっていくんです。つまり、あちこちに私がかかわった仕事がある。この道の舗装もやった、あの橋の架設もやった・・・という具合に、次々目の前に、かつての仕事が現われるんですね。私が入社したのは、昭和お年の7月。当時は土木建築の方に人がいなくてね。しかし仕事はどんどん入ってくる。花木さん(現専務)が営業に出掛けて一生懸命仕事を取ってくるんですよ。この人も、すごくがんばった人だったですね。ですから、私たち現場の人間も、人がいないなんて言っておられない。花木さんの努力に応えなければならない。朝早くから夜遅くまで必死にがんばった。今井産業株式会社建設事業本部参与仁科健(故人)後から入社した若い連中もがんばったね。文句一つ言わずにね。頭が下がるような気持ちでしたよ。青春の真つ只中を仕事に傾けていたわけでね。振り返ってみると、こうしてひたむきにがんばったから、みんなが力を付けたんだと思うね。今では考えられないことですが、その頃、土木建設で必要な採石や生コンなど資材は相手の言いなりで買っていたのです。ある年のこと、その資材の支払いがドカンとあった直後だったのでしょう。おやじさん(故今井庄之助会長)が、「この半年で150万円しか儲からんかった。夏のボーナスの金がない」と言うのです。ショックですよ。それから、みんなが盛り上がりましてね。(平成叩年2月H日永眠)55・激動編11958年~1972年

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です