いまいひと物語
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今井会長が、土木事業への転進を初めて語ったあの日-・・。株式会社石原製作所代表取締役社長石原一男さん庄之助さんが、いや、庄之助会長かつい親しみを込めてこう呼んでしまうんで、すな、いまも。(笑L、)その会長が苦しまれたのが江の川の洪水、とりわけlli':l利47年の大洪水です。商品の材木が流されてしもうた。たずねて行った私に、身振り手振りで言いんさりましたな。「こがーな高い堤防でも水が越しますけえな」そして、「だけえ、社会に貢献するためには、流れたり浮いたりするもの(材木)だけじゃのうて、流れないものも扱わんとL功、ん」と。流れんものは何ですかいの、と聞いたら、それは土木じゃと。その頃は私のところでも重機を扱っていましたから、ここで私も、今井会長の新しいお仕事、土木事業についてお役に立つことがでさることになったわけです。思い出すといろいろ教えをいただいたような気がしますが、私が自分の銘としていることをこ’披露しましょうか。それは、会社が得た富や資本、力というのは、-II寺的に借りているものだ。借りて、ゼニを儲けさせてもらっている。それは社会や人に返していくものである。絶対に忘れてはいけないと一。「こんなことじゃあビクともせんけえのうj今井産業株式会社土木部望書与筑後昭男る運用、活用をするということである。ここにも庄之助の「モノを大切にする」という考え方が如実にあらわれているのである。今日のように、めまぐるしく技術開発が進み、こういった設備機器の発達が著しい時代においては賛否両論、議論の交わされるところだが、ただ「モノを大切に使う」という考え方だけは、いつの世も、いやこれからの時代、特に大事にしていかなければならないのである。話が少し逃れたが、こうして今井産業の設備資産は年々充実され、これが、また企業としての,信用’と,信頼’が高まりH自信’につながる結果になったのである。会長夫妻は事務所の二|省に寝泊りされていましたが、私らが現場から相当遅くJ帰っても、二階の灯は1111えていたことがなかった。必ずステテコ姿でf年りてきて報告を|首|いてくださった。この報告で、すが、実は大変だった。とL、うのは、二三日してまた聞かれる。最初にいいJJl]iJ,防報告をすると、辻殺が合わんようになる。「おまえは、この前こう言うた」と、H七られる。実に記憶力がいい方でね。だから、自然私らも、すべて正確に報告するようになったものです。安f紫を旨とした生活ぶりのために、今井会長をケチの見本のように言う人カ丸、るが、私は実際は違うと思います。「必要なものは賀えjとたびたび言われたんですよ。例えそれが、大きなブルでもね。いちばんの思い出は47年の大水害のときの会長の言葉です。事務所も工場も流れたその現場で、私らにごう言われたんですよ。「わしは、これくらいのことではピクともせんけえのJみんな心配するなと。細かいところに神経が行き届き、そして大きな大きな人物でした。53・激動編11958年~1972年

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