いまいひと物語
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「木材みたいに簡単に流れんもんを、重たいものを、扱いたいのう」土木建築分野へ進出。圧之助会長そして久祥社長の思いは格別のものだったに違いない。それは、巨大なロトンの最新式ブルの轟音とともに実現した。「土木の仕事の醍醐昧はひと言では言い切れなし、」(筑後昭男参与)社会的意義と重ね合わせることができる力強し、業務が、今井産業のリスムになっていく。八戸川の川戸橋橋脚工事風景(昭和40年代後半)。激動編11昭和33ifo~|協和47年・52「技術、装備に対する先見性が発展の引き金になったようですね」(山陰中央新報社・又賀清一会長)といった声をよく耳にする。社史編纂の際お目にかかった多くの方の、共通した認識のようだつた。昭和日年の一般土木工事業への進出を足掛かりに、昭和何年の建築業、間利回年の舗装事業参入と、今井産業の事業展開はテンポを速めていったが、その激しい動きを支えたのは新しい技術に対する積極的な姿勢と設備機器の大胆な導入だった。例えば、昭和日年に使用を開始した、ブルドーザーは、邑智郡はもちろん、島根県下でも最初のものだったといわれている。しかも、重機械は一般にリiスか手形支払いが多い中で、今井産業はほとんどの場合現金での買い取りだった。これは、昭和打年の江の川大災害で社屋、工場、設備をすべて流失したときの経験(銀行や取引先に対する返済金猶予、手形猶予をお願いして快く了承していただいたことへの思返しの意味もある。すなわち、万一の事故で社会に迷惑をかけてはいけないという事)もあるが、もうひとつの理由は、ごく単純明解なことだが、これらの設備資産を会社の純粋な財産とし、大切に使用することで、耐周年数をはるかに超え

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