いまいひと物語
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大規模な建築物が建築され世界的なイベントが行われるようになった。東京で、オリンピック(昭和39年)、大阪で万国博覧会(昭和45年)が開催され、大胆で個性的な会場の建造物が評判になった頃、今井産業でも建設事業が本格化。多くの男たちがものづくりに情熱を傾けはじめた。場、世界万博会場…死をあびはじめた時代、山陰も燃えていた!鉄だけは人任せにしなかった今井会長。株式会社大島屋商店代表取締役社長和田俊こさん非常に仕事熱心な人で、業務的な面で頭の切れる方であることは万民が認めるところですが、私が知っている今井正之助会長はそれ以上に勉強家でしたな。経済、科学、社会について毎日とても勉強をなさっていた。だから、東京や大阪の第一線の経済事情、建築事情にも明るかった。社内の建設関係部門がスタートして、その方面の勉強はますますなさったんじゃないでしょうか。こんなことがありました。建設資材のことで伺うと、当時ほとんどのことは久祥社長に任されていましたが、鉄の関係のものは会長が自ら仕切られた。鉄筋とかね。これは自分の楽しみのようなものにしておられたのかな。それとも、中央の建設ラッシュの模様を知っておられ、その辺のことをよく勉強しておられたので自信があったからでしょうか。欽のことで話が弾むと、商売そっちのけになっていく。3時間も、4時間も続くことがあったのです。こっちはおかげで新しいととを勉強させていただきましたが。この辺のところも、今井産業さんが、中央のぺ1スに負けない速度で躍進された秘密ではないですかな。昭和29年初夏旭硝子小倉支店塩田課長とともに本店玄関前後列左手口田要助常務前列右側和田俊二社長後列右側故和田伯会長撮影は和田謙介専務激励編11昭和33年~11/H司147年”48

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