いまいひと物語
32/129

きっと、治水事業が盛んになる。きっと、舗装工事が増える。土木、建築、舗装:・木材業の他に得意分野を広げていったのは、目先の安定さに安住しない、今井産業の体質からだった。、、、\ -'l々/ ,./., ノノ〆/Ji L’ 面司、/ 木材業の盛業時に、これから伸びる事業は建設、という判断。激動編l昭和33年~l昭和47年圃46昭和初年代に入ってひところの復興需要はおさまったものの、今井産業の売上げは木材製品を主になお好調さを保っていた。そもそも、昭和M年を頂点とする岩戸景気は、一般には経営者の腹をおだやかにしていたはずだ。新しいことを考えないでも、又、別な分野に対し挑戦していかなくても事業は推進できる。しかし、目先の安定さに安住しなかったのが、今井産業だった。戦後の乱伐によって、囲内の森林資諒はやがて枯渇していくだろう。木材産業もやがて経営環境は厳しくなる。また今井産業の位置する桜江町はたびたび水害に悩まされている。全国的に見ても水害は日常茶飯事だった。国土の安定は今後の日本の発展のベlスになるはずで、治水事業がきっと盛んに行われる。そんな経営環境と地理的条件、また当時のスタッフの進言で、制年に、土木建築請負業を定款に加え、日年に建設業を登録する。その年の7丹、たまたま桜江町の江の川の支流・八戸川で豪雨による水害が発生。被害総額は2億7千万円という規模で、事業として打ち出した建設業はすぐ動きだすことになる。もっとも、発足したばかり、災害工事を受注した庄之助(当時社長)と久祥(後の二代自社長)は勉強につぐ勉強の毎日になったという。こうしてスタートした建設業が、いまでは今井産業発展の主役になっているのである。℃

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です