いまいひと物語
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ヨツク以降今日まで(昭和制年頃から現在まで)の、大きく3つに分けられる。とりわけ②の時期は日本国家の骨格を新しくし、土木技術が発達し、ダム建設や土地開発の大きな事業が盛んに行われた。この時代の波を、今井産業はしっかり社内事業に取り入れたのである。ここで見ておきたいのは、圧之助が、ただ単なる土木の仕事、建築の仕事だけをやるということではなく、それに対応するべく、組織化を果たしたことだ。県内でもかなり早い時期から、ブルドーザーを取り入れ、昭和m年には資本金を500万円に増資して、それまでの有限会社から「今井産業株式会社」に改組した。会社の近代化を急いだのである。土木にしても建築にしても多くの仕事は大地を相手にする大きな規様である。また刻々と技術革新が行われる。さらに公共性が高く、世間からの注目度も大きい。それらのことから、庄之助は、まず組織の改編、整備を急いだのだ。「企業は人なり」を近代的組織化にも生かす。人を大切にする人だった。厳しさで教え、自分の個性で鍛える人だった。そうしたn人中心’の入、圧之助が、組織拡大に対して何を基軸に置いただろうか。いや、そこにもH人中心’があった。人の力や個性が中心になって、大きな土木建築の仕事に対応できる組織を作り上げようとしたのだ。「従業員一人ひとりが自覚と信念に基づいて仕事をすることが大事です」(今井庄之助の言葉)。もとより情報の時代であるし、社内システムの効率化が仕事の質に直結する。今井産業では、厳しくも温かい人のカと、新しいシステムの力が両立したといえる。国をあげての土木建築の拡大の象徴である名神高速道(上)と東海道新幹線(右ペジ中段)。45-激動編I1958年~1972年

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