いまいひと物語
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安定成長期にあっても輸出は好調だった。アンバランスな経済環境にあっても、今井産業は確かな足取りを崩さなかった。写真は名古屋港の自動車の積込み風景。;工津資材センター主瑞穂出張所としての出先は、自前のビルを使用した。これこそ、今井産業の伝統なのである。直営、自前、無借金の伝統こそ、昔風の経営スタイルではあるが、ある意味から言えば最も新しい、最も健全な経営スタイルなのである。何しろ、今日の経済環境の中に見られるような、借金がもたらす大きな財政負担というものがないのだから。今井産業の無借金財政構造について。今井産業の歴史の上で、やはり最大の功労者は創業者・今井庄之助会長と、次の今井久祥社長で、しよう。その今井会長を評して「釣った魚に飢をやるタイフ。J、今井前社長を評して「{散餌をするタイプサと言う人がいましたけど、つまり、二代目の方が積極的で、事業を広げたと思われがち。でもそばに長くLミた私は、創業者も相当仕事を広くした人ではないかと思ってpます。住宅事業部を決定したのも、会長ですし。重機などを、リースではなく買い取りをする乙とについても、そんな積極的な面が出た結果だと思います。こういうことの決定のときはそれは担当者は大変。何度も主主類をつくる。何度も話を持ってL、く。そうした結果、決定する。このとき、最初にダメありき、ではないんですね。よく話を聞いて、話の中身を濃くするのです。今井独自の無借金経営はそうしたことの結果なんですね。ただ借金が嫌いというのではない。ただお金を使うのではない。考え、意見を出し合い、そうした中で、レベルの高い無償金経営を行う。それによって、会社の体質がさらに高められていくのです。79・飛躍編I1985年~1998年

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